古雜文庫

図書カード

秋田雨雀:マクシム・ゴーリキイ

表 題 マクシム・ゴーリキイ
——時代を通じて見た——
著 者 秋田雨雀
底 本 『日本國民』第七號(1932年11月1日 日本國民社刊)
初 出 同上
更新日 2021/11/06

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 九月二十五日、モスクワ大劇場に於けるマクシム・ゴーリキイの文壇生活四十年記念祭には、ソヴエート同盟の政府首腦者、黨中央委員、美術、文學、演劇各方面の代表者、公共團體及び工場、農村代表者、各國外交官、外國新聞記者代表、及び數萬人のモスクワ市民によつてマクシム・ゴーリキイは祝福され、席上彼はレーニン章を授與され、また彼の藝術的經歷に深い關係を有するモスクワ藝術座は、ゴーリキイの名を冠することになり、彼の出生地で、彼の作物に密接な關係を有するニジニノブゴロド市は、マクシム・ゴーリキイ市に改稱されたといふことが報告されてゐる。
 一人の作家が、その生前に於いてこのやうな祝福と讃美をその社會から受けたといふことは、藝術の歷史に嘗つてあつたであらうか? この事は、マクシム・ゴーリキイの場合では、單に一人の藝術家の社會的成功、藝術的達成といふことを意味するものではない。彼の場合では、彼の進步は、同時に彼の働いて來た、社會の進步であり、彼の勝利は、彼の働いて來た社會の勝利でもあつた。一九二八年に彼が生誕六十年祭を祝はれた時、ア・ハラトフ氏の言つた言葉を私は思ひ出す。「マクシム・ゴーリキイの記念祝祭は、單に文學的天才を產んだことを誇るための祝祭ではない、それ以上のことを意味してゐる。「十月」の勝利を得たプロレタリアートは、マクシム・ゴーリキイの中に、勞働運動に對してその生活及び活動を强く結びつけて來た一個の革命的精神の所有者である一作家の姿を見やうとしてゐる。レーニンはゴーリキイへの手紙の中で——藝術家としての君の才能はロシヤの、單にロシヤばかりでなく、あらゆる勞働運動の上に多大な寄與をなしてゐる——と書いてゐる。」
 マクシム・ゴーリキイの藝術家としての達成は、プロレタリアートの社會的達成と相關關係に於いてなされてたといふことは、彼の藝術生活を見る場合に見逃してならないことである。私達は彼の困苦に滿ちた生活から、今日の光榮を獲ち得た六十五年の生活、四十年の作家生活を、決して「一個の立志傳」として見ることの出來ない理由がそこにある。