古雜文庫

図書カード

中野秀人:『女の國』と『男の國』

表 題 『女の國』と『男の國』
著 者 中野秀人
底 本 『我觀』改卷第十號(1925年4月1日 我觀社刊)
初 出 同上
更新日 2021/11/25

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はしがき
 私がいま茲に書き綴らうとするところのものは他日完成すべきネオ、神秘主義戲曲の骨子をなすところのものである。從つて言ふところが稍荒唐無稽であるかも知れないが、眞實から噓を築き上げようとする創作上の苦心を買つて貰はなければならぬ。そしてまた餘りに自由な人生觀であるといふ點に於て、紳士淑女方の怒りを買ふやうなことがあるならば、それは作者の到らぬところであつて、「人生觀」の非ではない。本意は噓から眞實を築きあげてゆく現代の思索形式に対する一つの挑戰である。

「女」は人間ではない。
 私は科學者でも歷史家でもないから、母系制度がどうのこうのといふやうな難しいことは知らない。ただ「女」は人間ではないといふことを、まことしやかに述べ立てれば宜いのだ。其の點では神話の「女は男の肋骨を一本拔いて作つたものである」といふ名言を先づ後楯にし度いと思ふ。おそらく「男」が「女」を愛するのはその肋骨を取返さうといふ運動である。そのことによつて全き個體とならうとする一つの運動である、これに反して「女」が「男」を愛するといふことは何を意味するだらう。私は寧ろ「女」は「男」を愛するやうなことはないと言ひ度い。なぜなら「女」は一本の肋骨であつて、いまだ曾て一個の人間ではなかつたからである。「女」もまた笑つたり泣いたり怒つたりすることが出來る。つまり感情と、それを使ひ分ける若干の理智とを持ち合せてゐるのである。この點甚だ人間に類似してゐる。然し乍らその類似こそ一層警戒を要するのである。