古雜文庫

図書カード

中野秀人:神話時代

表 題 神話時代
著 者 中野秀人
底 本 「我觀」第十三號(1925年7月1日 我觀社刊)
初 出 同上
更新日 2021/11/28

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     第一場

   長屋建の玄關前。狹い通路。

黑い眼鏡を掛けた男。……奧さんは、結婚して幾年におなりなさいます。
奧さん。もう、えゝ、さうと、八年になりますわ。
黑い眼鏡を掛けた男。それでお子さんがおありなさらないんですね。
奧さん。ええ、まだ出來ませんの。
黑い眼鏡を掛けた男。(側を向いて友達に話しかける)おい、君、あの意味が判るかい。八年になる。
新しく戀を始めた男。何を言つてゐるのだい?
黑い眼鏡を掛けた男。ねえ、君、亭主はホテルの料理監督だらう。脂物ばかり食つてゐる。ところで奧さんは段々瘠せこけて劍相になる。子供の生れないのがあたりまへだといふことさ。
奧さん。(黑眼鏡の男に)あなたはお子さんおありなんですか?
黑い眼鏡を掛けた男。ええ、不幸なことには生れたてのが一つありますよ。そんな筈ではなかつたんですけれどもね。
奧さん。まあ、結構で御座いますわ。
黑い眼鏡を掛けた男。どう致しまして、飯も食へないところにもつてきて、自分で自分がなさけなくなりますよ。
奧さん。御冗談ばかり。
新しく戀を始めた男。(黑眼鏡の男に)僕の考へでは人間は負擔を平氣で引き受ける覺悟さへあれば、生活はいつでも樂しいと思ふね。
黑い眼鏡を掛けた男。僕も君と同じやうな考へを持つてゐたことがあるよ。だがいまになつてみるとそれが間違ひだといふことが判るんだ。
新しく戀を始めた男。はじめから希望を持たなけや宜いんだよ。ただ眞摯であれば、誠意さへあれば、失敗したつてただこの一生なんだからね。