古雜文庫

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片岡鐵兵:新感覺派は斯く主張す

表 題 新感覺派は斯く主張す
著 者 片岡鐵兵
底 本 日本現代文學全集67「新感覺派文學集」(1968年10月19日 講談社刊)
初 出 『文藝時代』第二卷第七號(1925年7月1日)
更新日 2021/12/01

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 この半年間の私の外的生活は、殆ど文壇と沒交涉であつたと云つても好い。私が默つて居る間に冬が去り、春が徂き、いまは夏さへも來た。默つて居れば居るだけ、だんだん文壇といふ所が變な物に見えて來る。離れて展望すれば、其所は何といふ下等な根性の巢窟なのだらう。特に、この頃の雜文的評論には心の痛くなるやうな感情が實に露骨である。議論に對する議論よりも、如何にして相手のプライドを傷付けようかと云ふ、マリシアスな意識が一層つよく働いてゐる。
 多くの惡罵と、理由の曖昧な(智惠の足らぬと云ふ意味)嘲笑が、所謂「新感覺派」なるものの上に注がれた。それだけの理由を持つて居るものとしては、僅かに石丸悟平氏、中村武羅夫氏、及び、生田長江氏(尤も生田氏だつて品のない物の云ひ振りは癪に觸つたが、あれで、理由だけは整然と列べてある)位を數へ得られる。この三氏には、私も進んで答へようと思ふ。中にも石丸氏の態度は、長者の品位と親切とを十分に備へて居て、非難されても氣持ちが好かつた。中村氏は、少々我々を無考へ者にされすぎたやうだし。ポオル・モランの文章を盗用したと云ふやうな流言を基礎とされすぎたやうでもある。モランの文章を盗んだ者があれば、誰が盗んだかそれを指名され、併せて實例を擧げられないと云ふと、大へん迷惑でもある。果して盗用か否かに就ても、レトリック以上の問題として論じたい。
 その他、私は無數の論敵を持つ。無數の論敵は、私の默つて居る間に、たいがいの事は云ひつくされただらうと察する。(尤も、私はあまり注意して讀んでも居ないが)
 そこで、もう好い加減、私が物を云つても好い時が來たやうだ。で、私は久し振りに發言らしい發言をして、先づ云ふ、「言ひたい事はそれだけか」と。