古雜文庫

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片岡鐵兵:新感覺派の表

表 題 新感覺派の表
著 者 片岡鐵兵
底 本 日本現代文學全集67「新感覺派文學集」(1968年10月19日 講談社刊)
初 出 『新小說』第三十一年第四號(1926年4月1日)
更新日 2021/12/03

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     1 その略歷

 大正十三年十月、時の新進作家の十數名が集つて雜誌「文藝時代」を創刊した。「文藝時代」の出現は、當時の文壇に喧騷を生ぜしめた事件であつたが、批評家千葉龜雄氏は、この雜誌の同人がもつ或る共通な特色を認めて、「新感覺派の誕生」と云つた。
「新感覺派」と云ふ名稱の起源は斯くて大正十三年十一月の雜誌「世紀」所載の千葉龜雄氏の時評文の命題に發したのである。
 さういふわけであるから、「文藝時代」の同人全部が新感覺派であると早合點する人が多いやうである。つづいて、同年十二月の「文藝時代」の卷頭論文に、私は「若き讀者に訴ふ」と、題する物を書いた。要旨は、橫光利一(文藝時代同人の一人)の小說の中の一句「沿線の小驛は石のやうに默殺された」と云ふ文章を例にとり、斯のやうな文章の存在を主張し、併せて斯のやうな文章を理解せぬ旣成の文章論に抗議したのである。引續いて、翌年一月には同じく「文藝時代」の卷頭論文に、同人、川端康成氏が「所謂新感覺的表現の意義」と題して、文章上の新しい方法論を試み、二月の同誌卷頭論文には、橫光利一氏が「感覺活動」と題して、生活と感覺との關係を說いた。
 然し、これらの論文に於て、論者は決して自ら自分たちの傾向を「新感覺派」と稱しはしなかつた。が、斯る論者に對し、自ら「新感覺派」の名稱を受入れたものと世人がきめて掛つたのは無理からぬ事である。彼らの論はいづれも感覺生活が一層の尊重を受けることを要求したからである。そして又感覺を一層尊重する事に依つて、彼らの新しき出發を、旣成文學の價値標準から少し外れたコースに向けようとする傾向のあつたのも否めなかつたからである。