古雜文庫

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片岡鐵兵:止めのルフレヱン

表 題 止めのルフレヱン
著 者 片岡鐵兵
底 本 日本現代文學全集67「新感覺派文學集」(1968年10月19日 講談社刊)
初 出 『文藝時代』(1927年4月1日)
更新日 2021/12/04

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 この二三年來、私は機會ある每に、現今の文壇の中心勢力を成すが如く見える一種のリアリズム文學を攻擊して來た。私の論議は多くの反感を買つたのみならず、一時は文壇全體が反新感覺派の聲で充滿したかの感さへあつた。然し、時は經過した。私が絕えず攻擊した一種のリアリズム的文學は次第に凋落せんとする傾きを表はして來た。今や新しい文學として受入れられる作品は、みな何らかの程度で私の主張して來た文學的要素を含有しながら、力强く日本の文壇內に芽を伸して來たのを認める。よし私の議論其物は人々の忘却の彼方に埋沒してしまつたとしても、私自身は今日力强く興りつつある新鮮なる勢力を感じて、聊かならぬ歡びを感じる次第である。
 惟ふに、古き文學と新しき文學との根本的相違は次の重要なる一點に存すると云つて差支へないであらう。卽ち、從來のリアリズム文學は固定した人間觀の範圍で人間を描寫したのに對して、新しき文學は作者の意志で人間を創造し、新しい運命を暗示した、と云ふ一點である。
 もはや幾度も詳論したことで、今更ら繰返へす興味もないが、從來のリアリズム文學を信奉する者は、作品の人間が「よく描けて居る」か否かを甚だ重要視した。そして「よく描けて居る」時、その作者は人間をよく知る者であり、「よく描けて居ない」時、その作者は人間を知らない者であるとさへされるのであつた。では、如何なる工合に人間が描かれた時、それは「よく描かれてある」のであるか。答へは簡單である。作中人物の存在が、實感的に浮出されて讀者に迫れば乃ち宜しいのである。