古雜文庫

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橋爪健:超目的意識論序說

表 題 文藝時評
超目的意識論序說
著 者 橋爪健
底 本 『文藝公論』第一卷第四號(1927年4月1日 文藝公論社刊)
初 出 同上
更新日 2021/12/06

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 從來私は機會ある每に、プロレタリア文學に對する注目と支持とを怠らなかつた。そして、今後とも、否將來ますます、その期待の增大さるべきは改めて云ふまでもない。言を誇にして云ふならば、將來の文學は、廣い意味のプロレタリア藝術精神を度外しては竟に成立すべくもないであらう。それは單なる理屈に止らない「理屈以上」である。
 しかも私は最近約一年、プロレタリア文學に對して(否、一般に批評らしい批評を書かなかつたが)口を噤んできた。その間に、殊にこの半歲の間に、同派が異常な勢を以て「進出」してきた有樣を望見し、にはかに自分の怠慢を恥ぢるとともに、かつて(大正十四年六月文藝日本)『プロレタリア派はすでに敗走した。しかし彼らは決して潰滅し終るものではない。社會的立場は、彼らの根底をともかくも强固にしてゐる。それを鎧ふべきものは、藝術的表現だ。すなはち新しき詩的精神の武裝だ。これなくしては、いかに强靭な理論を藏するとするも、文藝の野に於ては再度の敗退をまぬかれまい』と評した自分の言葉を思ひだして、その洞祭のやゝ餘りに抽象的であり幼稚ではあるにしても、幾何かその豫言の適中したことに愉快な微笑を禁じえぬものがある。
 然り。プロレタリア文學の「進出」は、それが如何なる意味に於てゞも、若しそこに何らかの「進出」が眞に認められるならば、斷然よろこぶべきことである。私自身は、竟に一介の智識人にすぎず、やがて崩壞すべき大階級とともに沒落するブルジヨア・インテリゲンチヤの一員にすぎずとするも、私はおのれの沒落悲歌の中にも勃興階級に對する無限の歡呼をこめて沒落することを忘れまいとする者だ。