古雜文庫

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尾崎士郞:藝術の反逆的精神

表 題 藝術の反逆的精神
著 者 尾崎士郞
底 本 『文藝公論』第一卷第四號(1927年4月1日 文藝公論社刊)
初 出 同上
更新日 2021/12/07

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 望樓の上から望遠鏡によつて人生の平原を見わたしてゐる藝術家にとつて、すべての人生の悲慘が彼等の美的衝動の對象であり得ることは當然である。ある藝術至上主義者が言つた。藝術はそれ自身、一つの反逆的精神の上に立つものである、と。しかし、反逆といふ言葉ほどに微妙にして知覺しがたいものはない。何故かといつて反逆的衝動は直ちに反逆的現實をよび起すものではないからである。この茫漠として捕捉しがたい言葉を、現實的な意識ならびに行動の中に見出すとき、私はもつとも鮮かな一つの特質に觸れることができる。曰く、「行爲の殘忍性」そのものである。この、「殘忍性は」、感情的なるものゝすべてを斥ける意味においての、意志の近代的な理想である。人道的な正義が、反逆的現實の中においていかにみぢめにその姿をかくしてしまつてゐるかといふ證據を、われわれは容易にすべての歷史的事實の中に見出すことができる。貴族的正義觀の上に立つ反逆的精神といふものは、徹頭徹尾、夢想的革命の旦那藝であつて、彼等の衝動、——正義感は、彼等が望遠鏡をはづすと同時に、その眼界から消え去るところのものである。

 かういふ解釋の適用する範圍は、ひとり近代の藝術至上主義者においてだけではない。文學的理論の中に革命的現實を求めようとする一部のプロレタリア文藝家の主張を見よ。彼等は科學的照明といふ美辭麗句によつて、藝術を利用しようとする功利觀に急なるのあまり、藝術それ自身を革命的行爲の中に生かすべき道を失つてゐる。今日の時代において、文學理論もまた科學的な根據の上に立つべき必然の中に置かれてゐることは勿論であるが、いかに科學的基礎に立つことに藝術の新しい理想があり得るとしても、藝術は卽ち科學ではない。否、むしろ藝術は益々科學的な照明を必要とすることによつて獨自の存在を明かにすべきものであるといふべきだ。