古雜文庫

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藏原伸二郞:逃走

表 題 逃走
著 者 藏原伸二郞
底 本 文壇新人叢書第十篇「猫のゐる風景」(1927年11月15日 春陽堂刊)
初 出 『葡萄園』第三卷第七號(1925年11月1日)
更新日 2022/01/06

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 ●山の庭に、猫が眠つてゐる。晚夏の黃昏である。綿のやうなかたまりである。日暮の寂寥、吸ひ込んでゐる。雨と蜩が啼く。妻の目に淚だ。

 都會を、遠く、國境へ遁げた。煙吐く山、山、山。もとより不景氣からである。妻と手荷物、はるばる、都會ひきあげた。どうにも都では喰へないからだ。一路、百里餘をつつ走つた。遠く、渚に消ゆる馬車である。はや田園に立ちそめた秋風に、吠ゆる犬である。山路登つてゆく。頂に佇つて見はるかす高原である。ぽつつり淋しく小學校だ。頭ふるもろこしのかげに、妻と私だ。山間の僻地、見るもの新鮮である。が、妻の腹も、やうやくふくらんでゐるではないか。過失抱へてゐる。ここの寂寥は、都育ちの女には、どうにも耐へられないのである。都會を後に、やつと三月だ。が、風土に妻は色褪せてきた。