古雜文庫

図書カード

堀辰雄:ネクタイ難

表 題 ネクタイ難
著 者 堀辰雄
底 本 「堀辰雄全集」第五卷(1955年3月10日 新潮社刊)
初 出 『新靑年』第十一卷第四號(1930年3月 博文館刊)
更新日 2022/02/08

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 靑い小函!
 ニツク・カーター探偵の耳は電氣にでも觸れたやうにピリツと慄へた。
 そこはグラウス酒場だ。
 さつきから、酒場の奧のはうで、ヒソヒソと電話で話をしてゐる女の聲を、ウヰスキーのグラスを口にしながら、聞くともなく聞いてゐると、突然、「靑い小函」といふ一語が驚きのアクセントをもつて叫ばれるのを聞いたのである。
 それからまた電話の話聲は以前のやうに低くなつた。それは彼の場所からはどうしても聞きとれない位に低かつた。
 貝殻が波の音を聞いてゐるやうに、すこしも理解せずにその話聲を聞きながら、カーター探偵は、何處かで何者かが死につつあるのを感じた。勿論、彼は職業的にその死にまつはつてゐる犯罪を豫感したのだ。
 そのとき奧のはうの部屋から、一人のウエイトレスが姿を現はした。探偵は、その女が非常に昻奮してゐるらしいのを、そして今まで電話で話してゐたのはその女に違ひないことを、確めた。その女は酒臺に近よつて、酒番と二言三言話しをするとすぐまた奧のはうの部屋に入つて行つた。