古雜文庫

図書カード

中野秀人:蘇州夜話

表 題 蘇州夜話
著 者 中野秀人
底 本 「東大陸」第十七卷第七號(1939年7月1日 東大陸社刊)
初 出 同上
更新日 2022/02/20

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 むかし、蘇州の城外に一人の賢人が住んでをりました。彼の本當の名前は毛唐錢と言ひましたが、人はみな名前のかはりに、彼をたんに「賢人」と呼びました。
 毛唐錢には、兩親も兄弟もありませんでした。彼が自ら信ずるところによれば、彼は幼い時分に、別な毛唐錢ととりかへられたのであります。つまり、あるお祭りの晚に、本當の毛唐錢を連れてゐた兩親は、本當の毛唐錢よりももつと立派で利口さうに見えたところの、別な子供とすり代へてきたのであります。そして、同じやうに毛唐錢と呼びました。
 だから、人が彼の名前を尋ねるなら、彼は髯をひねりながら、(もちろん大人になつてからの話です。)答へます。
 ——わたしは、とり代へられた別な者です。賢人です。
 蘇州城外の「賢人」と言へば、誰ひとり知らないものはありませんでした。賢人は、河ぞひの小さい小屋のなかに、ひとりで住んでをりました。小屋の裏木戶は石段の上に開いてゐて、その石段の四五段目から下は、いつでも河の水のなかに漬つてゐます。