古雜文庫

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橫光利一:三つの記憶

表 題 三つの記憶
著 者 橫光利一
底 本 『文藝』第九卷第一號(1941年1月1日 改造社刊)
初 出 同上
更新日 2022/03/09

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 七つごろまで私は東京の赤坂附近にゐた。坂道を姉と二人で登り踊りの師匠の家へ着いてから、懷に差された舞扇を拔きとつて、梅ケ枝をわたる鶯、と姉の踊つてゐる間膝に手をつき眺めてゐた。私の番になると扇を開き、「數萬の精兵繰り出して」と男は男の舞ひを習ふのだが、そのころのこのあたりは家家の屋根も低く日光の明るく射してゐる通りと、そして踊りとだけ妙にはつきり覺えてゐる。下總から來た私の家の男衆は、私を背負つて赤坂の練兵場を步くのが日課と見えて、草の中で起き伏ししてゐる兵隊の姿も眼に殘つてゐる。また、四谷見附あたりの足もとよりも低い土手の下の方を通る黑い汽車が、いぼいぼの鋲を澤山打たれた鐵橋の中を擦れ違ふ蟲のやうなのろい姿が面白くて、いつもそこへ行くことを男衆にせがんだ。物ごころのつく頃の記憶を故鄕とすれば、私には東京のそのあたりが故鄕といつても良い。このごろも四谷を通るとき、松の間から眼にする双葉女學校の校舍の薄黃色い木造の羽目や、火見櫓の形を遠望してゐると、幼いころに持ち扱つた手穢のついた繪本をひろげる思ひに一瞬日日の氣忙しさも忘れることがある。この世で最初にどこからか浮んで來た記憶といふものは、見てゐるととぼけた表情で、そこに日があたつてゐるときには心に喜びが起り、曇り日だと物悲しくあたりの街のざわめきが地獄のやうに見え、その中にいつも變らずぽつねんと坐つてゐる私の故鄕が氣の毒になつて來る。