古雜文庫

図書カード

室生犀星:雛子

表 題 雛子(ひよつこ)
著 者 室生犀星
底 本 『文藝』第九卷第一號(1941年1月1日 改造社刊)
初 出 同上
更新日 2022/03/10

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 土地を所有するとか借地を持つとかいふことは、さまざまな土地の地理や隣境ひの關係から、人と人の煩雜な關係になり、心と心の咥み合ひになるものである。甚吉は信州に百坪あまりの借地をしてゐるが、うしろの山の所有者と、僅か五十坪ばかりの墓地がすぐ山の下にあつて、その墓地と境せられた處に甚吉の借地があつた。その三つの土地の所有地標は悉く固い墓石にそれぞれ所有者の名前が刻み込まれ、地下三尺も深く埋められて永久に所有地を境してゐるのである。三方面から引かれた線が一個處に集まつたところでは、三人の所有地標がぴつたりと密着して建てられ、これを見た者は土地といふものを所有する時にかうまで肩もすれすれに地標を打建てて競ひ合はねばならぬかに、人間の心のあくどい露骨さに惘れざるを得ないであらう。しかも三本の地標は一分一寸の餘裕なく食付いてゐるのである。
 甚吉のとなり境の土地は半ば墓畔になり、半ばは空地で地主の勘也も平常はつかつてゐなかつた。墓地は引き越さなければならない筈であるが、勘也といふ地主は先祖代々の墓地であるからといふ理由で、その儘うら盆の日に草刈りに來る外は、雜草のはびこるままに委してゐた。墓は三四基あるが在銘の古いのは明和二年であるから、百六十年くらゐ經つてゐるのであらう。勘也といふ地主は每夏のうら盆の前の日に來ては、墓地をよごしてくれては困るときつと女中に叱言をいひ、女中をいやがらしてゐた。小肥りのあぶら照りのした地主勘也はことごとに甚吉家にあたり、一夏の休養に行つた甚吉に盆の日は必らずあゝ又かと眉をしがませる程だつた。それは空地に枯草をすてたとか、子供が自轉車を乘入れるばかりか、魚屋とか果物屋とか炭屋までが裏口に𢌞るに都合のよいために、それぞれ自轉車を乘り入れ、墓地の神聖を汚して困るといふにあつた。甚吉自身からいへば每夏植木の手入れついでに先づ空地の草刈りもやらせ、一冬の落葉や屑物も掃かせた上、雪で倒れて居れば墓石も立てなほしてやつてゐるのであつた。庭をつくるといふことは本庭ばかりを美しくしても何にもならない。屋敷の周圍から道路に及んで一應きまりをつけなければ、庭の美しさを外側まで保たせることが出來ないのである。甚吉の眼がそこまで行き亘らないことはない筈だつた。だのに、あひにく、勘也の來るやうな時に到來物の荷作りをといた繩とか藁とかの屑が、甚吉の眼こぼれから空地に棄ててあるのに彼が出會すのである。